冴子のメス


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 冴子のメス                     高尾 周一

 

 ①

「何かあったら、少し遠いですけど長崎まで来て下さい、私がやりますから」

 重田にそう言われた時、私は何も答えず、曖昧に笑っていた気がします。重田は私と同い年の妻、冴子の高校の同級生です。重田は故郷の大学病院で副院長になった男です。三年ぐらい、いや五年になるかもしれません。重田が学会の仕事で東京に来ると、女友達を含めた三人で冴子は飲みに行くのです。そんなことを何度も繰り返しているうちに、一度家に挨拶に来ることになり、その夜の帰り際に、重田が私に、「何かあったら」と真面目な顔で言ったのです。

 私たちは還暦を過ぎて数年を経ています。私はサラリーマンを辞めました。冴子は子育てを終えてから勤め出した不動産関係の会社が性に合っているのか、勤めを続けています。重田は、「医者は六十五が定年」と言っていますが、その後も他の病院へ移って現役を続けるのでしょう。

 重田は、私の家を訪ねて来た時、神妙な顔つきでした。片手に吊るしてきた日本酒の四号瓶とカステラを差し出し、

「奥さんを、いつもお借りしまして」

 と、亭主が答えようのない挨拶をして頭を下げます。

「いえいえ」

 私は気にもしていない素振りで席をすすめ、宴は始まりました。冴子はいつもより早く帰って来て、すき焼きの用意を楽しげにしていました。といっても遠方にある店の安価で旨い肉の買い出しや、野菜、茸をスーパーマーケットで仕入れてくるのは、私の昼間の役割です。

 家は医者の家に比べれば狭いに決まっています。都内でも狭い部類なのですから。

「食べて、食べて」

 冴子は嬉しそうです。もう一人、重田が東京を訪れるといつも、冴子と共に集まって飲んで歌う女は来ませんでした。高級官僚の妻で、お金も時間もある女なのだそうです。

 重田は代々医者の家庭で、実家の病院は弟が継いでいるとの事です。バンカラな変わり者の様に自分を評しますが、私には如何にも社会的地位のある紳士に見えます。

 暑いのに、軽やかで上質に見える上着を着て、

「どうぞ暑いですから、お脱ぎ下さい」

 と私が勧めるまで脱ぎませんでした。扇子で扇ぐ姿も様になっています。俗に言う二枚目、今では古い表現でしょうがロマンスグレーのやり手です。

 私は退職前から政権批判のツイッターから離れられなくなってしまっている偏った傾向の拗ね者なのですが、そんな私が熟読した『日本会議の研究』も重田は読破しており、感動しやすい私は酒量が進みました。

 重田が帰る時、扉の外から頭を下げたのを覚えています。冴子が駅まで送って行きました。

「しげちゃんも、久しぶりに酔ったって言ってたよ」

 冴子は爽やかな表情で戻ってきました。確かに重田の足取りは乱れていました。

 

 私と冴子は友人の紹介で知り合いました。東京で生まれ中小企業に勤務し出会いのなかった私に仕事先の男が、付きあっている人がいないのならば、と誘ってくれたのです。冴子とは英語学校で知り合ったとのことでした。

 冴子は華やかな女です。特に派手な服を着る訳でもないのですが、切れ長の目の洋風な顔立ちが人目を引きます。とんとん拍子で結婚に至り、新婚、出産、子育てと、喧嘩をすることもありましたが、充実した生活を送ってきました。何の不満もない悔いのない人生と思っています。

 冴子は長崎で有数の公立高校出身で重田も同級です。冴子の家は運送業を営んでいたそうです。私が出会い、訪ねた時はすでに事業は畳んでいました。

 昨年の秋、冴子の母親の十三回忌が行われました。冴子は丁度同窓会があるとのことで早々に旅程を決めていました。私もこれが長崎を訪ねる最後になるだろうとの思いで直前に参加を決めました。

 法事を無事に終えた晩、冴子の親友の女二人が我々夫婦を焼鳥屋に招待してくれました。二人とも教員です。前日の同窓会で会った旧友の動向などを賑やかに語っていました。

 還暦を越え、同級生が出世して県の教育長や医師会長に就いており、彼らについての裏話で座は盛り上がりました。

「重田さんも来たんでしょ?」

 私がふと発した問いに、前に座る親友二人の顔が一瞬強張り、顔を見合わせたのに私は戸惑いました。

「しげちゃんは仕事で来れんかった」

 冴子が前を向いたまま答えました。

「重田君は忙しかけんね、奥さんとも上手ういっとーみたい」

 親友の一人が冴子に伝え、他の偉くなった男や、えげつなさで成功している女友達へと話しは戻りました。しかし、何故か二人の女が重田の話題を避けた気がして、重たい気分が残りました。

 十二月に入ると、やはり重田は学会で東京にやって来、冴子と役人妻と三人でカラオケに行きました。私も誘われたのですが、退職し時間を持て余している身で、現役バリバリの医者と飲む気は起きません。気にしないようにいつものペースで入浴し、床に着き眠ろうとします。部屋の明かりを消し時々時計を見ます。十時半まだ早い、十一時電車は混んでいるのかなどと想像してしまい、気は落ち着きませんでした。

 

 ②

 翌年の一月下旬、高尾山に一緒に行かないかと冴子が誘ってきました。大学時代の仲間で退職後トレッキングに精を出している男と、後輩の女と四人で行こうという話です。頼まれた日用品の買い物に出る程度で家に籠りがちな私を、気分転換に外に連れ出す意味もあったのでしょう。私も山に行きたかったので、直ぐに行くと答えました。

 京王線で新宿から小一時間で高尾山口駅に着きました。改札を出ると細身の女と、ぎょろ目の男が現れました。簡単な挨拶を交わし、早速歩き出します。冴子と細身の女は絶えず喋り笑います。ぎょろ目の男は黙々と先頭を歩きます。

 ケーブルカー駅を通り過ぎると、右手に病院の白い建物が見えて来ました。先頭を行くぎょろ目の男は左に入る山道を進みます。明け方の雨で土道は濡れていますが石ころが混じり、ぬかるんではいません。左手の崖に生えているシダが、鮮やかな網の目の葉を揺らし、触れそうに迫ってきます。

右下は、岩にぶつかる水が白い飛沫を上げる渓流になりました。頭上で鳥が囀ります。渓流の向こう岸の岩に洞窟が二つ並び、蝋燭が立っています。

細身の女が川に手を浸し、冴子も嬌声をあげています。私も岸辺の平たい岩場に屈み、右手を川に浸けてみました。予想通りの冷たさが心の奥にまで染みます。透明な水は軽やかで纏わりつきませんでした。

 ぎょろ目の男に従って細い道を登って行くと、今度は左手の木々の合間に渓流が見下ろせました。私は右の崖から出っ張る木を掴んで、横に這う根っこを跨ぎます。木は一様に天へ向かって伸び、枝は光を掴もうとする指の形をしています。

 ぎょろ目の男は渓流に入り岩を選んで跳び続け、やがて川を離れ、急な階段を登り始めました。見上げると何処までも続いています、肺を膨らませ、は―はー声を出し、私も三人の靴から離されないよう足を上げ続けました。

 頂上に出た時、私は思わず、「着いたあ」と叫んでいました。

 頂上広場の突端からは、青い峰の真ん中に薄白い富士がなだらかに座っているのが見え、

「あー、来て良かった」私は心から感激していました。

 

 帰路は、病院裏に出る急峻な瓦礫道を下りました。靴を横に向け滑らないように一歩一歩注意し、しかし細身の女がキャンと子犬が啼いたような声を立てて尻もちをつきました。

「大丈夫?」

 冴子が振返り、駆け寄るとナップザックのポケットから、塗り薬とカットバンを取り出します。

 細身の女は両手をついて起き上がり、スラックスを叩きながら、

「流石、看護婦目指した人ね」

 と、冴子に笑いかけました。

冴子が看護婦を目指していた?私の心の湖に小石がぽとんと落ちました。

冴子は細身の女を睨み、細身の女はハッとした表情を見せ、冴子は崖下へ視線を転じ、細身の女は空を見上げました。

「大丈夫、あーびっくりした、私、弱ってるのかな、足」

 細身の女が再び歩き出し、山の空気が生暖かくなり自動車の走行音に、

「あー、下界が近づいてきたあ」

 細身の女が叫ぶまで会話はありませんでした。

私は今まで過去は過去、これからが大事と考えてきましたが、私が知らない冴子がいるのではないかとの思いに取りつかれ、帰りの電車の中でも一人会話の流れに乗れませんでした。

 

その後私は、ぎょろ目の男、細身の女と三人で高尾山詣でに勤しみました。高尾山は京王線高尾山口駅を起点に東側から三路、JRも通っている高尾駅からバスを利用すれば北側から蛇滝口、日影、小仏の登り口があり、さらに幾つかの路に分かれているので飽きません。

冬の青灰色が緑に変わり、足元に菫が咲き出し、一日として同じ景色の日はないのです。細身の女はぎょろ目の男を隊長と呼び、三人は多い時には週に二回、山に入りました。

日影のバス停で降り日影沢林道を小仏城山へ歩き続けたのは、三月の初めだったと思います。作業車が通れる幅広の道を登り続けていると、車が停まっていました。車体には林野庁と書いてあります。行き過ぎようとした私達に向かい作業服の若い男が、

「こっち行くと、もみじ台、頂上」

 叢の中を指差します。何と答えて良いか分からず三人で顔を見合わせていました。沈黙の後、

「今日は城山に行くんで、こっちですかね」

 隊長が太い林道の行く手に目を向けました。作業服の男は車の陰の道を私達が見逃して、間違った道を行ってしまっては申し訳ないと確認の声をかけただけだったのでしょう。すでに私達のことなど眼中にない様子で、荷台から荷物を降ろしていました。

城山へ登る林道から高尾山のもみじ台へ登る、地図にも載っていない秘密の抜け道があるのをその時知りました。たまたま林野庁の車が停車し、作業服の男が確認の声をかけてくれたから知ることのできた宝物です。我々は天啓に感謝しつつもその日は予定通り林道を城山へ登り、高尾山へ尾根を縦走しました。

思い返せば、この頃が私の心身共に健康のピークだったのでしょう。重田が頻繁に頭の中に現れることもなくなり、私は冴子の大学時代の友人と高尾山に通い詰め、冴子は仕事を楽しんでいました。

 

 ③

三月の連休の後でした。重田がやって来て、いつものように冴子と役人妻とカラオケルームで過ごしている時、「明日、一緒に高尾山へ行きたい」と言ってきたというのです。

私と隊長と細身の女が毎週火曜日に高尾山に言っているのを何かの拍子に聞き、それを覚えていたらしいのです。

重田が来た夜にしては早めに帰って来た冴子は、私が曖昧に頷いていると、隊長達とのラインに事情を話し、了承を得ると早速、重田に連絡を入れていました。こうして高尾山への重田の登場が決まったのです。

翌朝、高尾山口駅に現れた重田は、半ズボンの下に高級そうなスポーツ下着を履き、キャップもブランド品で、時々見かける山を走る人のいでたちでした。

重田は普段は社交的にゴルフを楽しみ、ランニングで鍛え、しかし元々は自然好きでトレッキングもこよなく愛す、理想形の男です。

風邪を引いてしまったという細身の女は欠席し、隊長、重田と三人で歩き出しました。

「関東の山は三度目だ」、「駅前から登れるんだから年間三百万人来る訳だ」、などと重田は話しかけてきますが、無口な隊長は、「えー」と言うだけです。

「重田さん、流石鍛えてる、足取り軽いです」

 私はこんな調子で、なんでご機嫌取りを演じてしまうのか。

 六号路を、渓流沿いに登って行きます。ハイシーズン時には登りだけの通行に限定する人気コースです。山道に入った直後には、追い越していく人、佇んで植物を撮影する人に遭遇しましたが、さすがに連休明けの火曜日ということで、奥に進むにつれ三人だけの沈黙の登山になりました。

「もうここまで来たんですか」

 標識の番号を確認して重田が腕時計を見ます。これなら直ぐ頂上に着くと甘く見ているのでしょう。六号路は、出だしは緩く最後に急階段が待っているのに。木橋を渡り、道は細くなり右手の崖から出る木の根っこに掴ってバランスを取りながら足を進めます。隊長は黙々と歩き、重田はスマホに景色を収め、植物に屈み込んで観察するなど時を楽しんでおり、まだですか、と悲鳴をあげる気配がありません。

 飛び石を伝って渓流の中を遡る、コース中、最大の楽しみの場に来ました。隊長が振返り、

「気を付けて下さい、滑りますから、ゆっくり行きましょう」

 声をかけ石を選んで進みます。渓流といっても足首が浸かる程度で、滑り落ちても身体が流される危険はなく、足首まである防水の靴なら、流れの中を二、三歩進んでまた石に戻れます。

 重田がいきなり走り出しました。

「お先に行きますので、上で待ってますから」

「気を付けて下さい、滑りますよ」

 隊長が呆れて背中に叫びます。怪我しない程度に転べばいいのに、と私は思いました。実際、若い男が石と石の間の隙間に尻もちをつき、「大丈夫ですか」と声をかけたことがあるのです。

 石に飛び乗り、渓流に飛沫を立てて重田は進み、背中は小さくなって行きました。

「元気な人ですね」

 隊長が呟き、私と親密感が生まれました。

「VIPは走んの好きなんでしょ、ハワイマラソンとかあるじゃないですか」

 心配をよそに重田は渓流を登り切り、最後の山場である急階段の手前で平気な顔をして待っていました。木の杭で土留めした階段がこれから二百段以上続くのです。山の入り口辺りで、速足で私を追い抜いて行く若いカップルが、階段を見上げ佇むのがこの踊り場です。私らリピーターは涼しい顔で抜き返していき、内心悦に浸ります。

「凄いですねぇ、普段から鍛えていらっしゃるんですか」

 隊長が微笑み、

「一休みしていきませんか」

 と、重田を気遣います。

「私は大丈夫ですよ、普段から走ってますから」

「山とか違いません、道路と」

 私は自分の口にする言葉、調子が全てご機嫌伺いをしているように思えてしまい、情けない気分です。

「そりゃ違いますけど、平気ですよこれくらい」

 これくらいか、でも最後の二百段が待ってるんだぞ、私は頭上に続く土の階段を見上げます。初めて登った時は鼓動が高鳴り、久しぶりの負荷に心臓を心配しました。階段の途中には小さな踊り場が二カ所あり、無理をせず一休みしていく人も多いのです。

「さ、行きますよ」

 重田がゆっくりですが、走って登り始めました。隊長が、

「気を付けて」

 重田のトレッキングシューズに声をかけ、

「行きますか」

 私に微笑みます。

隊長の靴と土留めの木杭をひたすら見詰めて足を上げていますと、息の上がった自分の呼吸音が聞こえます。重田も苦しいに違いない。踊り場で重田が両腕を腰に当て前屈みに休んでいる姿を脳裏に浮かべましたが、現実の重田は頂上まで登り切り、開けた景色を背に、低い石垣に座り水を飲んでいました。

 重田からちょっと離れた石垣に私も腰を降ろし、ペットボトルの水を飲み、ナップザックの昆布お握りを探していると、重田は、

「いつもは女房の特製なんだが」

 やはりコンビニ袋を開け、いくらするのやら高価そうなお握りとカットメロンを取り出し、メロンを私と隊長に一切れずつくれました。メロンは身体に染み、生き返る思いでした。

「残念ですね、重田さん。今日は富士山見えないですね、見える日は向こうに見えるんですが」

隊長が指差します。

「あー、そうなんですね。今度また見に来ますよ」

 重田は意にも介しません。私なら、自分は運がどうのこうの言うのに。

昼食後は稲荷山コースで下ろうと隊長も私も思っていたのですが、重田は地図を指差し、尾根伝いに小仏城山へ行き日影沢林道を日影バス停へ下るコースを主張します。私はぎょっとしました、体力的に覚悟が要る距離、アップダウンの連続です。

 隊長が地図に見入る重田を見上げ、

「結構きついですよ」

 と微笑みます。

「いいんです、挑戦です。一人でも大丈夫ですから」

「まさか、走っていくつもり?すげえなあ」

 なんで私はこんな時、調子よく会話を盛り上げようとするのか。

「それじゃ、私たちは後からゆっくり行きますから、無理しないでください、日影のバス停でお会いしましょう」

 隊長がそう言うと、重田は自前のドリンクを一口飲んで、

「じゃあ、今日はありがとうございました」

 ゆっくり走り出しました。私は小仏城山から高尾への下りの縦走は何回か経験しています。全体の道程が下り気味ですからこれならまあまあ容易に歩けますが、重田は逆に小仏城山へ登っていくのです、急な階段の途中で、膝に手をつき立ち止まっている人を見かけるコースです。

どの位の時間を見ているのでしょう、リュックからガイドブックを取り出し、頁を繰ると一時間十分とあります。

「行きますか」

 隊長がリュックを背負って微笑みます。

「先に行って下さい、ちょっと水を補給して、トイレに行って、後から行きますから」

 私は水道栓からペットボトルに水を注ぎます。

「待ってますよ」

「いや、今日は一人で行きたいんです」

 私は強い口調で言い返しました。頑な態度に隊長も呆れて、

「それでは気を付けて」

 見慣れたリュックの背中が遠ざかっていきます。

 私は自分を卑しいと感じることはあまりありませんが、今はおかしくなっていると分かります。隊長といつものペースで歩くか、稲荷山コースを下って一人で帰ると伝えれば良かったのです。それなのに重田を見送る前から卑しい考えが、頭の中で蠢いていました。

 林野庁の作業着の男が指差した、秘密の抜け道を下るのです。以前、日影林道を城山に登る時、偶々停車していた作業車の男が指差したもみじ台への抜け道は地図にも載っていません。隊長と細身の女と三人で一度抜け道に分け入り小一時間でもみじ台へ登り、人一人が歩くことができるだけの細い道だが危険は無いと確認しています。下りなら四十分で日影林道に出られます。

 重田といえども城山まで歩いて一時間十分の登りを、三十分で走って行くのは難しいでしょう。日影のバス停から城山への登りは歩いて一時間四十分とあるので、下りを一時間十分と見て、重田は三十五分で走るとして、ここから計一時間五分。さっき出た重田は流石に城山の頂上で五分は休むでしょうから、早くて一時間十分分後に日影バス停に着く計算です。

 私は抜け道を下って五十五分後にはバス停に着きます。重田の脇を追い抜いて行く訳ではないので、何の意味もありません。ただ重田を一瞬驚かせ、その後は自分が嫌な気分に陥ると分かっているのですが、私は心臓の鼓動を高めながら抜け道に分け入って行ったのです。気をつけろ、急ぐあまりに転ぶなと縺れそうになる足を引き締め。艶やかなアオキの葉が、葉元に赤い実を乗せているのが妙に印象的でした。

「勝った―」

 日影林道に出た時、私は声をあげていました。よもや重田が走ってこないか左手の林道を凝視すると光が横切った気がしましたが、実際には何も動いておらず重田の幻影も走って来ません。スマホの時計を見ると私は三十五分で下りています。もうこれから抜かれたところで、背中に声をかけて驚かせれば良いだけです。私はゆっくりバス停へ向かっています。

 

 バス停にはリュックを降ろした五、六人のハイカーが佇んでいました。停留所の時刻表を覗いてみると次のバスまで十分足らずです。この間に重田が来る可能性はほぼありません。私は正面の林道を駆け下りてくる人影と、右手の街道からやってくるバスを交互に見比べています。バスが来てしまいました。次のバスは一時間ありませんが、私は停留所を一歩離れ、重田が降りてくるはずの道を見詰めます。

 林道に走る人が現れました。小さな人影が直ぐに重田と確認できる姿となって近づいてきます。息を切らせ足を引きずり、身体の上下動が明らかに大きくなっていますが、それでも徒歩にならないよう細かなステップで足を進めて来ます。歯を食いしばっている重田に、私は右手を振りますが重田は気づきません。止せばいいのに私は両手を頭上で降ります。重田がこちらを見ますが何の反応もありません。

 停留所のポールに重田はタッチし、腕時計を確認すると、両手を膝につけ頭を垂れ、ハ―ハ―音を立てて大きな呼吸を繰り返します。

「早かったですね」

 私が声をかけると重田は顔を起こし私を見て、あーあんたかという表情をしましたが、何も言わず待合室として設けられている小屋に入って行き、ドリンクを飲み続けます。私が小屋の外から窺うと、

「なんであんたがいるんだ。俺を抜ける訳ないんだあんたが」

 怖い顔で私を振り返りました。この時が嬉しかったのですから私は狂っている、悪趣味です。

「途中で追い越す時、声かけましたよ」

 私も小屋に入り、重田の向かいに座りました。

「そんな訳ないだろ、あんたは登るのがやっとで」

 私は答えずに山を眺め、

「隊長はどうかなあ、間に合わないだろうけど、乗っちゃいますかね、一時間に一本ですから」

 と澄まし顔で答えました。重田は時計を見て、ノートに何やらメモを書き込んでいました。

 バスがのろのろやって来て、重田、続いて私が乗り込むと、何と最後列の座席に隊長が座っていて、笑顔で手を振ってきます。重田が奥まで進み、

「あれ、どうしたんですか」

 座席の真ん中にどしんと座り、私はその脇を、

「失礼」

 と、すり抜け隊長と逆側に座りました。

「やー、御無事で、重田さん走り抜きましたか」

 隊長がにこやかに話しかけます。重田も疲れています、

「何とか」

 と答えただけです。

「私は、隣の小仏から乗ってきたんですよ、林道通らず、小仏峠から近道で」

 隊長が説明すると、

「そんなのあるんだ、狡いなあ」

 重田が冗談めかして笑います。

林野庁の道ですね」

 重田越しに、今度は私に隊長が声をかけてきましたので、私は慌ててしまいました。

「えーまあ」

「そうすると思ったんですよ、あの時、それで歩きながら、僕も峠の近道で下りようと」

 私は、首から耳がカーッと赤く燃え上がっていくのを感じました。狡の基が私にあったと言わんばかりに。そんなこと隊長は言っていない、近道は狡じゃないと、自分に言い聞かせるのですが。

重田がこちらに顔を向け、

「やっぱりねえ」

 私を見下ろしました。

 

 ④

桜は散り、五月の黄金週間がテレビで盛んに取り上げられる季節を迎えました。私は冴子と重田の関係を妄想しました。長崎の女友達は焼鳥屋で、重田のことを話す時、奥さんとも上手くいってるみたい、と語りました。つまり回りの者にとって、果して二人が上手くやっていけるか注目する理由があった筈です。

 高尾山を登った時、転んだ細身の女に冴子がカットバンを渡すと、細身の女は、流石、看護婦目指した人ね、と冴子に向かって言いました。冴子は高校時代に看護婦を目指したのでしょう。

 私の結論は、冴子と重田は高校時代に付き合っていた。重田は医者を目指し、冴子は看護婦を。ところが現実には、医者の一家である重田は、地元の医者の娘と結婚する話が早くから決められており、その流れを重田は拒否しきれなかった。傷心の冴子は東京で働き、時を経て私が紹介された。そして重田が学会で東京に来るようになると、燻り続けていた二人の心の火は、メラメラ炎と化してしまった。

私はこのストーリーに納得しました。もう歳だし大した事にはならないだろうと自分を慰め、級友だから仕方ないと、現実の世界が光で明るい昼間は冷静にしていられるのですが、夜一人で寝床につくと落ち着いていられなくなるのです。

 梅雨に入りました。重田がまた学会で東京にやってきました。役人妻と三人でカラオケです。夜十時半、まだ電車は混んでいて明るい車内なんだろうなあ、私は心を落ち着けようとしながら前向きに臨もうとします。十一時、そろそろ帰ってくるのか。こんなことが続けば、何か今にあるぞ、バランスを崩すとんでもない事態がやって来るに違いないと私は、悶々としながら凶事を確信していました。

 

検便は採取が二日に渡り面倒ですが、悪い結果が出る訳がないという自信が何故かあって厭うほどの検査ではありません。退職後は区の検便セットを貰い提出してきました。再検査通知が来た時は驚きましたが、まさか大腸癌が告知され、手術への流れになるとは。下痢と便秘を繰り返していたとはいえ、歳をとれば便も細くなって仕方ないと楽観視していましたから。

紹介された大学病院の先生は、手術は難しくはなく、癌細胞を切り取れば回復する可能性は高いと励ましてくれました。私より若いこの先生に任せようと思いましたが、冴子が親しい友人が癌専門の医師だからと押し切り、私は重田の病院に転院することになりました。

長崎は子供が小さい頃、冴子の実家を何度も訪れていましたので、美味しいチャンポン屋も心得ています。二人の子供に、「坂、気を付けて」と声をかけながら下ったグラバー庭園から見た海と造船所のドック、綺麗でした。いつかまた歩いてみたいと思っていましたが、こんな形で訪れることになるとは。

羽田に二人の子供は来ませんでした。

「簡単な手術で、お母さんの友達がやってくれるから、来ないでいいからね」

 と、冴子が釘を刺したのです。

「頑張ってね」

 娘は東京の病院のベッド脇でそう言ってくれました。

「元気じゃん、直ぐ治るよ」

 息子は、回復を確信していました。

羽田には隊長と細身の女が送りに来てくれました。

「また登りましょう、お待ちしています」

 隊長が大きな目で私を覗きこみます。あー、重田さえ来なければ、三人で登り続け幸せだったのに。私は過ぎてしまった貴重な時を思い起こします。もっと登っておけば良かった。

長崎空港に着くと、冴子の友人達が車で迎えに来ていました。そのまま重田の病院に運ばれました。重田の病院で夜、天井を見て私は何故こんな思いに捉われてしまっているのか、問題は重田と冴子にあるのではなく、冴子と私にもある筈だと気づきました。

紹介で知り合い、結婚を前提に付き合いはスタートしたのであり、恋愛とは違う打算が含まれた関係なのは明らかです。二人の子供を育て、喧嘩は当然しましたが十分知性で納得しあってきたと私は思い込んできました。

若い頃は、何日も口をきかなくなる喧嘩をしましたが、いつからかお互い、嫌な思いを避けるため、言いあいの後になるべく早く雰囲気を変え、空気を転換していく術を得ました。悪く言えば、深く理解し合うのは諦めたのです。

最近、冴子がテレビのバラエティを見ている姿を見ると、こいつは本当に馬鹿なんだと、私は心の内で舌打ちしています。片付けの下手な冴子が洗濯物を散らし、洗剤ボトルが並ぶ引き出しを広げたままにしてある光景を目にし、つい先日も私は呆然としました。

「舌打ちしないで、本当頭くる、今やろうと思ってたのよ」

 冴子は激高しましたが、私は相手にせず時の変化を待ちました。こうした関係が世間一般と思っていますが、果して。

 

手術の日が来ました。私はストレッチャーに仰向けに寝ています。冴子が手術室の扉方向へ、

「お願いね」

と声をかけます。私の足の方です。私には冴子が見えますが、冴子は私の顔に語りかけることはなく、手術室の扉の方を凝視しています。視線の先には重田がいるのでしょう。

「行きますよ」

看護婦さんが私を見下ろし、

「大丈夫ですからね」

声をかけてくれました。

思うように声が出ません、お願いしますと重田に言いたいが、重田はストレッチャーの頭部にやってきません。冴子はストレッチャーの頭部から手術室の扉方面を見て、ゆっくり二度頷きました。目はじっと一定の方向を見ています。

今、ストレッチャーの足先が手術室に入った気がします。

「さようなら、みなさん」

私は声になりませんが、口を動かして精一杯挨拶したつもりです。ストレッチャー全体が扉の中に入って行きます。ちょっと顔を右に傾けてみます。重田の白衣があった気がします。冴子は私を見ないで、白衣の男の方にまた頷いています。

私は観念しました。

「皆様、お世話になりました。これから麻酔に落ちて行きます。さようなら、皆様、さようなら」 

                             (了)